1894年に、フランスのリュミエール兄弟は、キネトスコープパーラのオーナに頼まれて、新しい方式のプレーヤを完成した。
本来のプレーヤを改良して、フィルムの像を、アイカップに映す代わりに、アーク灯と水レンズを使って機械の外のスクリーンに映すようにしたもの(▽図左)だった。プレーヤを何台も買わなくても、大勢が(同じコンテンツの)キネトスコープを見られるようになる。Lumiere兄弟は、この新しい方式をシネマトグラフ(Cinematographe)と名づけ、それをテアトルという会場で公開し始めた。現在の映画はシネマトグラフが発展したもので、そのしくみや特性は、本質的にはほとんど変っていない。
シネマトグラフの最初の興行は、キャピュシーヌ通り14にグラン-カフェの地下のサロン-アンディアンを会場にして行なわれた。
グラン-カフェは、オペラ座とマドレーヌ寺院との中間に位置する有名なレストランで、その付近は賑やかな区域だった。会期は1895年12月28日(土)からだった。
フランスでの映画の入場料は20~30フラン。1週間の間に延べ2500人がシネマトグラフを見に集まった。
映画はこの興行をもって誕生したとされているが、シネマトグラフはそれ以前に完成していて、Lumiereたちは1895年02月13日には特許を取得している。
一般公開の直前にも特別招待試写会が行なわれている。12月28日は、スクリーンによって観客が一つの作品を鑑賞できるようにするために、会場に観客を入場料を受け取って興行を行なうという、映画が誕生した日として意義をもつ。
映画の興行では合衆国については、1896年06月18日にニューヨークで最初の興行が行なわれた。
シネマトグラフの日本での最初の興行は、1897年02月15~28日に、大阪の南地演舞場で行なわれた。
この興行は、のちに稲畑勝太郎によるもので、稲畑は、フランスに留学していて知り合ったオーギュスト(兄の方)から、シネマトグラフを紹介されていた。
翌年には川上座で興行が行なわれた。入場料は8銭だった。数秒~数十秒ぐらいの長さで、映画の興行を基準に考えればごく短いクリップに過ぎなかった。

