吉本興業のお笑い芸人
お笑い芸人といえば吉本興業です。
吉本興業は、無名から大物まで、お笑い界の人気芸人を多数かかえる日本最大の芸能プロダクションでしょう。
吉本興業のお笑い芸人といえば、だれを思い浮かべるでしょうか。
まずは、国民的好感度NO1を記録した、明石家さんま。「日本で最も露出の多いテレビスター」として、1999年ギネス世界記録に認定されています。
島田紳助、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、ザ・ぼんち、ダウンタウン、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、南海キャンディーズ......古い世代から新しい世代まで、吉本興業には人気芸人が多数そろっています。
漫才ブームで一世を風靡したB&Bも、吉本興業に所属。
吉本興業の大御所お笑い芸人といえば、桂三枝、西川きよし、笑福亭仁鶴、坂田利夫。笑福亭仁鶴の弟弟子である、笑福亭鶴瓶も評価の高い芸人です。
西川きよしのような、吉本興業出身で国会議員を務めたお笑い芸人もいます。
最近人気のある、吉本興業のお笑い芸人といえば、ご存じレイザーラモンHG。
レイザーラモンHGは、住谷正樹のゲイキャラですが、鈴木杏奈との結婚でほほえましい話題を振りまいています。
吉本興業には、お笑い芸人というより、お騒がせ芸人として有名になった人もいます。暴力事件の島田紳助や、最近物議をかもした「極楽とんぼ」の山本圭一。
山本圭一は吉本興業を解雇されて、もうほとんど社会から抹殺されています。身から出た錆とはいえ、残念な話です。
「新宿南口連続殺人事件」に参加した、次長課長、ダイノジ、タカアンドトシ、ライセンス、POISON GIRL BAND(ポイズンガールバンド)。......こちらは物騒な事件ではなく、お笑い芸人による立派なライブの名称です。
人気お笑い芸人の所属事務所は、吉本興業だけにとどまりません。
明石家さんま、タモリ、ビートたけしは、日本の3大お笑い芸人といわれますが、それぞれ事務所は異なります。
たけし軍団率いるビートたけしこと北野武はもちろん、オフィス北野。
タモリは、田辺エージェンシー所属。芸能界のドンといわれる堺正章も田辺エージェンシー傘下の事務所。
そのほか有名なお笑い芸人である、萩本欽一、坂上二郎、小堺一機、関根勤らは、浅井企画。
三波伸介で有名なてんぷくトリオや、片岡鶴太郎、山田邦子らは、太田プロダクション。ツービートや、爆笑問題が所属していたこともあります。
日本の喜劇王・志村けんや、加藤茶らは、渡辺プロダクション分社のイザワオフィス。
※吉本興業(よしもとこうぎょう)
大阪府大阪市と東京都千代田区に本社を置く東証1部、大証1部上場の日本最大手の芸能事務所、プロモーター、テレビ番組製作会社。
商号は吉本興業株式会社。また、創業が1912年であり、日本の芸能事務所では、最古参である。
吉本興業の概要
テレビ番組制作、劇場、芸人養成スクールを手がけ、お笑い芸人のマネジメントでは圧倒的な強さを誇る。
現在は芸能プロダクションを中心とした複合企業。「お笑いの総合商社」「日本最大の芸能プロ」ともいわれています。
大株主には大成土地、三井住友銀行、大成建設、朝日放送、毎日放送等が名を連ねている。銀行系列は特にないが、旧大和銀行系の大輪会に参加している。
創業は1912年4月1日。始まりは吉本吉兵衛・せい夫婦が大阪市北区天神橋にあった「第2文芸館」を買収し、寄席経営を始めた。
翌1913年1月には大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に吉本興行部が設立される。
1915年には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか、月と陰るか、全てを賭けて」との思いから「花月」と改名する。
吉本興業は当初、専属芸人のラジオ(当時のJOBK・大阪放送局)出演を堅く禁じていたが、1930年12月7日に桂春団治がその禁を破ってJOBKに初出演。
吉本は禁を破った春団治の寄席出演を堅く禁じたが、その後しばらくして春団治が寄席に復活した途端に客が押しかける様子を見て、専属芸人を放送番組に出演させる事が結果として自らの営業利益に繋がる事を知り、1934年5月4日にJOBKと吉本は和解を果たした。
1932年3月1日には吉本興行部を改組する形で吉本興業合名会社が発足。同年には後に同社の社長になる橋本鐵彦、1934年には漫才作者として名高い秋田實が入社。
1939年には新興キネマとの間で所属芸人の引抜を巡る騒動が勃発するが、その後両社は和解しミスワカナ・玉松一郎らが新興キネマに移籍した。
太平洋戦争敗戦後、一時は演芸部門から撤退し花菱アチャコを除く全ての所属芸人の専属契約を解除、貸スタジオ経営など映画会社に転身した。
1948年1月7日に現在の吉本興業株式会社が発足している。1949年に大阪証券取引所、1961年には東京証券取引所に上場した。
1959年演芸部門を復活。この時も同年3月1日のうめだ花月劇場の開場と同時にテレビ放送を開始した毎日放送と密接に結びつき、以降テレビ時代の到来と共に再躍進を続ける。
同年に発足した吉本バラエティは、1962年には吉本新喜劇と名前を変え、現在まで続く人気を博している。

